君に愛を語るとき …… 17 旅立ち

17 旅立ち



慶成大学大学院。研究資料を借りに行くために、

柊は久し振りに辻教授のところへ向かっていた。


後輩達とすれ違い、何人かの学生が柊に頭を下げる。

柊もやっと形になってきたスーツ姿で、少し照れながら、挨拶を交わしていた。


「どうだ、山室。住谷建設は……」

「はい。まだ、下っ端なんですけど、夏からは研究室の方へ行くことになりそうです」

「そうか……。棚橋部長が、お前のことを褒めてたぞ。飲み込みが早くて、
すでに戦力だって」


嬉しそうに柊を迎えてくれた辻教授は、相変わらず書類と書籍の中に座っていた。

研究が大好きで、子供のようにはしゃぐ大人。学生達は、影でそう呼んでいるのだ。


「いや……それは。お世辞ですよ、先生の教え子だからってことで……」

「早くお前の好きな滑走路へ行けるといいがな……」


柊はそうですね、と返事をした。教授と別れ、よく使っていた研究室に顔を出すと、

新しい学生達が、色々と資料を広げながら語り合っているようだった。


「あ、山室先輩!」


その中の一人、花田が柊に気づき、声をかける。

いつも集まりの宴会部長をかって出た男は、大学院に進学し、ヒゲを伸ばしていた。


「どうしたんですか? 仕事中でしょ? もしかして、もうクビになったんすか?」

「……んなわけないだろうが。資料を借りに来たんだよ。先生にも会いたかったし……」


他の学校から大学院に入ってきたメンバー達は、柊を知らないが、

花田の態度で次々に頭を下げてくれた。


「教授に言われなかったですか? 花田は使えないって……」

「エ?」


教授の部屋の方を確認し、花田は柊の耳元で話し始める。


「……ったく、お前はダメだなぁ。山室なら30分でやるぞってすぐ言うんですよ」

「それは口癖だよ、気にするなって。僕だって、
はじめの頃は先輩の名前をよく出されたんだから」

「エ……そうですか? じゃぁ、頑張りますけど……」

「けど、なんだよ」

「時々後ろから、ガツンと行きたくなるときなかったですか?」


花田は、拳を作り、叩くマネをする。

「……」

「……」


柊は周りを少し意識するように見ると、小さい声で言った。


「……あった……」


その言葉に、笑い出す花田。あまりのはしゃぎっぷりに、柊は慌てて花田の口を塞ぐ。


「じゃぁな、花田。頑張れよ……」

「エ、もう帰るんですか?」

「仕事中なんだよ、これでも。またな!」


柊の言葉に、花田は嬉しそうに笑うと、メンバー達の方へ戻っていった。


「柊!」


懐かしい声に振り向くと、そこには南美が男子学生と歩いていた。



『栗本君に付き合ってくれないかって言われてるの……』



あの時の言葉を思い出す。柊じゃないとイヤだと言っていた南美が、

新しい恋をスタートさせたのだ。


「研究室に来てたの?」

「あぁ、先生に資料を借りに来たんだ」

「そうなんだ。柊が来ているんだったら、もっと早く行けばよかった。
猛がノロノロしてるんだもん!」


猛と呼ばれた栗本は、少し後ろで柊に頭を下げた。


「相変わらずわがままだな、お前は。調子に乗ってると、栗本に振られるぞ!」

「……余計なお世話!」


南美は柊に向かって、舌を出す。


「栗本……」

「はい……」

「南美はこんなふうに強いこと言うけど、すぐ泣くからさ。許してやってくれよな……」


栗本はわかっていますというように、笑顔で頷いた。


「何よ、柊。保護者みたいなこと言わないでよ」


南美は少し照れくさそうにそう言った。


「本物の兄貴が使い物にならないだろうが。遅い春ボケで……」

「……知ってるの?」


柊は笑いながら、頷いていた。





「お前なぁ……春ボケってなんだよ!」

「……何か問題でも?」


南美の使い物にならなくなった兄、健介と久し振りに飲むことになる。

実は健介には2ヶ月ほど前から彼女が出来たのだ。


「いつ電話しても忙しい……忙しいってずっと振られてたからさ」


柊はそう言いながら笑っている。好きな人が出来たら、

その人にいつでも会いたくなる気持ちは、もちろん理解できた。

健介にそんな人が出来たことを微笑ましく思っていた柊の嫌味。


「よく言うよな。散々人にそういうことをして来たくせに」

「……ごめん、怒るなよ、本気で」

「怒ってないけどさ……」


健介はつまみの魚をほぐしながら食べている。


「南美、明るかったぞ」

「だろ? いつもブツブツ文句言う割には、毎日電話してるよ。
かかってこないとまた文句言って……。だったらかけろよって言うと、
どうして私がかけるのよ! って文句言ってる」

「……あいつらしいな」

「……ったく、あんなやつでも、選んでくれる男がいたのかと思うと、ほっとするけどさ」


そう言いながらも、嬉しそうな健介に、柊もほっとする気分だった。季節が動く度、

人の心も変わり、また新しい出会いが生まれていく。


「お前はどうなんだよ、彼女と」

「……うん。お父さんにはまだ認めてもらってないけど、
でも、会うことを邪魔されることはなくなったから、進歩しているとは思うけどね」


病院で母親と話してから、普通に交際を続けている二人だったが、

まだ、父親とは向かい合ったことはなかったのだ。


「柊、お前んとこは男兄弟だろ。だからわからないかもしれないけど、男親にとって、
女の子に彼氏が出来るのは、恋人を取られるより辛いらしいぞ」


健介は空のジョッキを振り、店員を呼ぶ。


「うちの親父も、俺の彼女の話しは聞きたがるけど、南美のことは聞きたがらないんだ」

「……」

「きっと、彼女の親も、もうわかってるんだよ……。俺はそう思うけどね……」

「……」


柊は飲みかけていたグラスを持つと、一気に空けていた。





梅雨が近くなり、雨模様の日が増えていた。柊は研修期間を終え、

会社の研究室に通うようになる。しばらく本社から離れていたが、

資料を持ち久し振りに会社へ向かう。社員証を見せ、中に入ると、

別の入り口で何人かの学生が説明を受けていた。


リクルートスーツに身を包む彼らの姿が、律子と重なっていく。季節は動いていくのに、

まだ、彼女から嬉しい報告をされることはなかった。


「あ……山室君。久し振り」

「横山先生、お久しぶりです」


柊は研究室に戻る前に、横山先生のところに立ち寄っていた。

律子のリハビリは以前ほどなくなり、柊がここへ来ることもなくなっていたのだ。


「飲む?」

「あ、ありがとうございます」

「そうか、りっちゃんまだ採用決まらないんだ」

「はい……。はじめのうちはからかってたんですけど、
だんだんそうも言えなくなってきて。やっぱり足のことが影響しているのかな……と……」


横山先生から受け取った缶コーヒーを持ち、少し考える表情をする柊。


「それはないわよ、山室君。りっちゃんの目指している職種なら、足は関係ないもの。
それに、日常生活の中で、困るような状態でもないし。
大丈夫、きっと、もうすぐ受かるわよ」

「……そうでしょうか」

「りっちゃん、院内学級でも、子供達にすごく人気あるのよ。
彼女を必要としてくれる場所が、絶対に出てくるから。
山室君は、どっしり構えてあげて。足のことなんて気にしちゃダメよ」

「……はい……」


この横山先生の存在が、どれくらい自分たちの励みになったことか。

柊はあらためて感謝しながら、横に立っていた。


「そうか、明日発表なんだ……」

「うん……」


ベッドに横になり、律子と話しをする柊。受話器の向こうから、

小さなため息が聞こえてくる。


「柊……。ずっとどこにも採用されなかったらどうしよう。なんだか自信なくなってきた」


いつも明るく笑い飛ばす律子が、弱気なコメントをする。


「諦めないで頑張ったから、足もよくなったんだろ。無理だ……なんて言って、
さぼっていたら、ここまで回復しなかったって、横山先生も言ってたじゃないか。
就職も諦めずに頑張れば、絶対にいい結果になるって」

「……」

「明日はきっと受かってる!」

「……どうして?」


もちろん、そんな確信など柊にはなかった。それでも、そう言ってやりたかったのだ。


「絶対に……受かってるから!」


自分を励まそうとする柊の言葉が嬉しくて、律子は何度も頷いていた。





そして、次の日。柊は休憩時間になり、急いで携帯を開けた。

律子からのメールを開き、内容を確認する。


そこには、画面いっぱいに『うれしい!』の文字が連続で残されていた。

柊も両手で小さくガッツポーズをした後、画面いっぱいの『おめでとう!』で返信をした。





「おめでとう、りっちゃん……」

「ありがとう、先生」


律子は内定の報告を受け、横山先生のところへ会いに出かけていた。そこで先日、

柊がここへ来たことを聞かされる。


「足のことが影響あるのかどうか……って、山室君、気にしてた」


自分の前では決して言わないことを、ここで吐露していたと知り、律子は胸が熱くなる。


「りっちゃん、山室君と出会えてよかったね」

「……うん」


律子はリハビリ室を見ながら、二人で過ごしてきた日々を思い返していた。

律子のリハビリを見続けていた最初の頃、一緒に数を数えてくれた日、

そして、父から隠れるように、柱の影に立っていたあの時……。


「ねぇ、先生。もし、私と柊が……いつか……あ、やっぱりいいや」


律子は恥ずかしそうに下を向き、言葉を止めた。横山先生は彼女のそばに近づき、

肘で合図する。


「何よ、途中で辞めないでよ」

「……」

「ほら……」

「……柊には言わないでよ。あのね、もし、
私と柊が……いつか結婚しようと思った時には、先生、仲人さん引き受けてね」

「……」

「……ね!」


律子は横山先生の方を向き、小さく念を押した。


「じゃぁ、その時までに、私の相手を探さないとね。一人じゃ仲人できないわよ!」

「……あ」


横山先生のその言葉に、頷きながら笑う律子だった。





「おめでとう、律子」

「ありがとう!」


内定をもらった彼女の声は、想像以上に明るいものだった。

どんなふうに連絡を受けたのか、一生懸命に話しをする律子の言葉を聞いている柊。


「横山先生にも、報告に言ったのよ、今日」

「先生、喜んでくれただろ」

「うん……」


そこで横山先生と交わした約束には、触れることのない律子。


「日曜日、お祝いしよう」

「本当?」

「うん……」


心配をかけてきた柊に、祝ってもらえることが、何よりも嬉しく思える律子だった。





「お母さん、お風呂出たけど……」

「わかったわよ」


就職を心配していた母も、内定をもらえたことで、安心しているように見える。

律子はドライヤーで乾かした髪の毛を、少しいじりながら階段へ向かった。


「律子……」


店から戻った父親に呼び止められ、階段を一歩昇ったところで立ち止まる律子。


「話しがあるんだ。こっちへ来なさい」


柊との交際を反対されてから、あえて避けてきた父との会話。たまに言葉を交わしても、

すぐに途切れるか、ケンカになる日々だった。ゆっくりと父のいる方へ振り返り、

表情を確認する。


いつにもまして、真剣な眼差しが向けられている。

就職が決まり、明るい気分の律子の気持ちは、一気に暗くなっていった。


「早く座りなさい」


何を話されるのかわからなかったが、無言のまま、父親の指示に従う律子だった。

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二人の恋の行方は……

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